数値
朝、雑巾がけに没頭していても、頭のなかに浮かぶことは、昔のことの辛いことだったりする。だるさ50だが、涙ぐむことはなくなった。でも声に出したら、胸が痛くなるんだろう。頭では整理できていることなのに、今まだ何故振り回されているのだろう。胸の痛さは諦めでもあるが、まだ許せないことがあるのだろうか。僕の次元とはあきらかに違う人たちにやられたことを、いつまで引きずるんだろう。
そんな考えがぐるぐるしていて、父、祖母は介護施設へ、母はリンゴを買いに実家へ行ったので、お昼は抜きでもいいやと、一眠りを決め込む。こういう時に限って眠気が起こらず、結局本を横になって読む。うつ病日記を読みながら、だるくてやる気がおきないのは同じだけれど、ドーピング薬を飲んでまで仕事をしているのは、すごいと思う。僕のドーピング薬は却って興奮を抑えるから、仕事などいっそうできなくなるのだった。体重の増加と便秘は薬の副作用だとあらためて納得する。
本を読みながら知らぬ間に眠っていた。午後一時ごろ目がさめたが、起き上がる元気がない。一時間ほどぐずぐずしていたが、やっぱりお昼を食べようと起き上がる。
ミニサイズの肉まんと、アイスクリームを食べる。食べたらなんとなく普通に起きていられる。やっぱり食は大切だと実感する。いつものことだが、いつも勉強しないなあと思いつつ。
午後四時に介護施設からお帰りの車が来るので、母の帰りを待っているが、もう三時四十分を過ぎている。自分が挨拶にでなきゃいけないと思うと、興奮度80。
案の定、母は帰って来ず。父が帰ってきたので、お迎えにでる。玄関まで来てくれたので、思っているほど緊張しなくてもよかった。いつも考えすぎてしまうこの癖をどうにかしなければ。こうでなかったら、病気にもなっていないと開き直る。不機嫌度30。
収穫の晩秋
午前十一時頃になると、ものすごく眠くなってくる。椅子に座っていられないので,布団に横になる。一時間後に起こされるのがわかっていても座っていられない。寝ることは仕事だよと言われても、昼間は起きていたいのだった。
うつらうつらとしていたら正午になる。母が部屋まで呼びにくる。
昼食は菓子パンであった。昼飯は麺類かパンである。さっとすませて、部屋に引きこもる。
お隣のゴバヤシさんから、野菜をとてもたくさんいただく。白菜十個、大根とサツマイモ、キュウイも箱いっぱいもらう。家自体、特に母が漬物好きなので、割合野菜は消費するが、キュウイはどうするんだろう。砂糖でつけて、最後に蜂蜜をかけると美味しく食べられるそうだ。いわゆるキュウイの砂糖漬けだ。それよりジャムにすべきか。
干し柿も今年はコバヤシさんの柿だ。家の木には十個あまりしか生らなかった。
野菜をいただけるのは、とても嬉しいことだが、始末にこまる時もある。いただきすぎているので、お礼を考えなければならない。
昨日は腰がいたくて、なにか風邪の前触れかと気をもんだが、今日は調子いい。何か変わったことをしたといえば、前日にアサガオの鉢の片付けをしたくらいだ。原因はこれなのか。そうとう軟な身体だ。腰は体調が変わる前からも痛くなる。なんだか、女でいることは大変だとわけもなく溜息をつく。
此処に在ること
曇り空だけれど、松本のcoopまでドライブに行きましょうと、なかば無理やり母に外へ連れ出される。
注文しておいた家計簿が届きましたの電話連絡をうけたのは、僕だった。寒いから暖かくしてきてねということで、風を通さないウォーキング用の上下に着替える。
塩嶺峠を北方面へ越えていくと、左手に北アルプスの稜線が現れる。冠雪していて美しい。歳を取るにつれ山が美しいと思うようになった。昔は山に囲まれる閉塞感しか感じなかった。人の気質も山にならっていた。
学生を卒業して、東京へ出て行ったのは、信州人気質から一度離れて見たかったからだ。ちょうどバブル時代で、福利厚生がしっかりしている大手の電機メーカーに就職することができた。関東をぐるぐるして十年後にほうほうのていで、実家に戻ることになる。本当は経済力があったら、まだ関東にいたと思う。しかし、もともと体力がないので、実家に戻ることは予想されたことだ。
結婚を気に会社をやめた。やめる前にうつ病でまるまる二ヶ月入院していた。まだこの頃は精神疾患の受け入れる病院がなかったので、内科に入院していた。この時にちゃんとした病院で治療していたら、統合失調症まで重くなることはなかったかもしれない。いずれにしてももしもの話だ。
結婚も失敗し、すぐ後に付き合った男に浮気をされ、言葉によるDVを受け、この縁も切れた時、僕は実家へ行くあずさに乗っていた。八王子からずっと泣いていた。隣の席の中年のご夫人が、何も言わずにハンカチを差し出してくださった。今考えると、救いの手を差し出してくださる人が確かにいたのだ。実家も然り。
自分でも泣いてばかりいる自分は自分ではないしおかしいと思っていたが、まず自立しなければとフリーランスでデザインの仕事をはじめた。仕事は順調だったが、自分を感じられなかった。どんどん自分が自分でいられなくなっていくので、母に相談したら、伊那にある漢方医を勧めてくれた。母の自律神経を治してくれた医者だった。二週間に一度きちんと通ったが、父のアルツハイマーも進み、弟も帰ってきて、より不安定になった。発作を起こすと、二階からでも飛び降りようとしたり、自傷行為に走った。決して沈み込む感じじゃない。だからよけいに心配をかけた。僕のまわりから、大工ハモノ系がなくなったのは、この頃である。
漢方では症状が重すぎるということで、地元の精神病院に通い始める。もちろん入院を勧められたが断固拒否した。入院は懲りていたのだった。自分にあう薬を探すのに時間はかかったが、今は精神的に低いところであるが落ち着いている。とにかく眠れるように薬を出していただいているらしい。振り返れば五年前から病院に通っていることになる。
帰りは峠の向こうに八ヶ岳が見える。こちらも冠雪していて、美しい。諏訪湖を高いところから見下ろす。景色は限りなく美しい。
風景を投影することで、自分は生かされているんだと感じる。此処にいるだけでいいのだろう。
一時間ほどのドライブだったが、山の美しさに見とれた。曇り空でもとてもとても綺麗だった。
冬支度
アサガオの種をとって、鉢を片付けた。アサガオは一日花なので、咲くたびに花弁を取っていたが、このままでは種が出来ないと思い、ある程度そのままにしていた。花芽が早くからついた鉢からは種がとれず、蔓のままこのまま咲かないんじゃないかのほうの鉢に種がいっぱいついた。不思議だ。
庭木は少しずつ冬囲いをしている。
雪が降ると落ち着かなくなる。犬は喜び庭駆け回りの犬ではないが、ババシャツとかコートとかシルバー系のメイクとか、準備しなくちゃと思う。暖房のファンヒーターが一番最初に用意するものだ。
あとは十二月になるまでに、車のタイヤをスタッドレスに替えなくちゃ。
恋人が福岡から帰ってきた。画像にうつる顔を見て、頭をなでなでしてみる。
結構ひとりの時間、楽しんだよと思いつつ。
振り回される
新しくした居間のテレビがあまりにも調子が悪くて、交換することになる。最初に取り付けに来たときは、今まで十数年使っていたテレビケーブルをそのまま再利用した。接続するとき上手く映らなかったのだろう。端子を繋げなおしていたのを見ている。
四日目の夜、母がテレビが映らなくなったと呼びに来る。ケーブルの端子のところを開いてみたら、テレビ線がぽろりと落ちた。断線したわけだ。新しくテレビ線を加工ようとしたけれど、線を剥くのに何度か失敗し、ケーブル自身が古すぎるのだということで新しいケーブルを買うことにした。
朝、時計代わりにつけているテレビがないと、静かなこと。
昨日は病院に行った後、ヤマダ電機に行って、テレビを買う時に担当してくれたHさんを呼んでもらう。ケーブルを新しくすればOKでしょうということだったので、テレビケーブルを買って帰る。今のコードって端子部分をいじれるようになってないんだね。早速テレビと繋いでみると、ぱっと映像がでたので、ほっとする。これで不具合は解消されたと思い込んでいた。
二時間くらい経った後だったか、母がテレビが映らなくなったと呼びにくる。パンっと音がした後真っ黒になってしまったと言う。これはもうテレビ自体の問題かと思い、担当のHさんに電話して、修理に来てもらうことになった。
テレビの交換になったら、個別にシリアル番号が違うので、またエコポイントの修正をしなければいけないと言う。手間がかかることよ。
とにかく、今は修理がくるのを待っている。
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